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東北地方太平洋沖地震

今回の大地震におきまして、亡くなられた方々のご冥福をお祈り申し上げます。
また、被災された皆様に、心よりお見舞い申し上げます。



地震当時のことを、今後忘れないように書き留めておきます。
その時間、私は遅めのランチから戻り、雑居ビル6階の自社の洗面所にいました。
ちいさな揺れが長く続き、社内の様子を見に洗面所を出て受付がある出入り口を通りかかったときに、揺れが激しくなりました。
受付の花瓶が大きく揺れ、とっさに押さえました。私が花瓶を押さえているのか、花瓶に私がすがっていたのか、分からないくらいの大きな揺れでした。
揺れがおさまり自席に戻ると、パソコンの液晶ディスプレイが倒れ、書類が散乱していました。
「震度7」
「仙台のほう」
「外に出ろ」
色んな言葉が飛び交いました。
簡単な荷物を持って階段を駆け下り、ビルの外へ。
道路には近隣のオフィスや飲食店からたくさんの人が集まっていていました。
大通りを行き交う救急や消防のサイレン、おそらく報道のものと思われるヘリの音を聞きながら、私は怖くて怖くて、とにかく落ち着こうと思って、普段あまり吸わないタバコを1本吸いました。

少ししたら、雑居ビル内に人が戻り始めたので、階段を6階まであがってテレビをつけたら、ヘリからの大津波の様子が映し出されました。
きれいに整えられた田畑を黒い水が飲み込んでいく、恐ろしい光景。まるで映画のような、日本で起きていることとはとても思えなく、社員一同、言葉もなく見つめていました。
それからは、大きな余震があるたびに外に飛び出しては戻るを繰り返しました。

電車が止まって帰宅の手段を失い、会社に泊まり込みました。
携帯各社の通信が滞っていたため、家族や知人友人からのメールが、夜になって一気にドサッと届きました。
翌朝、始発から動き始めた地下鉄は、同じく帰れなかった会社員や制服姿の学生で大混雑。余震のたびに緊急停止し、通常1時間かかるところ2時間近くかかって帰宅できました。
我が家はパソコンが落下していた程度の被害で済みました。

翌週からは計画停電などの影響で、会社は基本的に自宅待機となりました。
とはいえ仕事は進んでいるので、データと書類をすべて家に持ち帰り、自宅で作業をして、得意先で打ち合わせがある時だけ出勤する形になりました。

震災以来連絡が取れなくなっていた仙台在住の知り合いから、家族ペット一同無事との連絡が来ました。



震災関係の情報は、家にいると常にテレビから得てました。
さらに節電のためと家を暗くしていると、テレビのショッキングな映像と情報と暗闇に少しやられてしまって、気持ちがしんどくなって、どうしようもない焦りと恐怖にかられました。
そんなとき、九州に住む母が電話で「こっちはみんな笑顔で過ごしている」と言いました。
こんな時だから、だと。
日本中が疲れてしまってはいけない。復興のために、いつでも力になれるように、元気なひとは元気でいないといけない。その一言でかなり救われました。

まず、自分の出来る範囲に、少しだけ無理を加えた募金をしました。
そして節電を心がけました。
数少ない、ご近所付き合いと言える人に挨拶するようにしました。
馴染みのお店のオーナーさんが近隣に住んでいる事がわかり、緊急連絡にと携帯番号を交換したり。

出来る事からしていきます。
早くみんなが普通の暮らしに戻れますように。





震災の翌日に全線開業した、九州新幹線の地方CMです。
言うまでもなく震災とはまったく関係ない、偶然のタイミングで作られ放送されたものですが、これを今見ると、すごく励まされます。
こういう力が全国につながるといいな。

| 雑記 | 12:05 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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